クルフィーの色~インド.料理.旅など~

ひたすらインドとヒンディー語について綴られるブログです

目の前に物乞いの人がいたら、今どうするだろう?私には結局何ができるんだろう

インドで出会う物乞いの人、子供たち

私の心の中で、ずっと考え続けていることがあります。インドの貧しい人に対する接し方についてです。

私が初めてインドに行ったのは19歳の時でした。

私にとっては19歳のインドが初めて個人的な海外旅行でした。一人旅ではなく、仲の良かった女の子との2人旅です。父親が友達を連れて行くなら行ってもいいと、渋々承諾してくれたのです。

当時の私はずっと人が死ぬことについて、生まれて育つことについえ考えていました

インド旅行ではガンジス川のヴァラナシ(ベナレス)に行って、火葬場を訪れました。そこで出会ったのは、インドの年老いた女性でした。

女性は私の腕を掴んで、火葬に使う薪代を要求してきたのです。

私は戸惑いました。初めてのインドで、インドの人がどういう考えを持っているのか想像もできず、頭の中で考えがまとまりませんでした。

何もわからず、お金を出すこともなかった

その時はひとまずその場から逃れました。女性に腕を掴まれたことと、別に1人の若い男性が女性の味方をするべくそばに立っていたため、危険を感じたのです。

何が起こっていたのだろう?私はどうすべきだったのだろう?

女性がお金を欲しがっている。薪が足りなければ体を燃やし切ることができない。私は日本という裕福な国から来た人間だ。出せるなら出せばいい。でも、本当にそうなのか?

今になっても、お金を出すべきだったのか結論は出ません

一人旅でインドを回るようになってからも、物ごいの人には出会いました。ある日は電車の中で、または車に乗っているときにドア越しに、そして列車を待っている時に駅のホームで。

インドの小さな物乞いの子は、よく「ビスケットをちょうだい」とねだってきます。私の年齢は20歳を超えていました。しかし、いくら私が歳をとってもそういう子を目の前にした時に、どうしたらいいか依然戸惑っていました。この子に出したら、また別の子が物を欲しがるかもしれないと。本当にこの子はお金がないのだろうか、ビスケットで栄養になるのか?そしたらお金を渡したほうがいいんじゃないか。私は子供に物をねだられたからといって、そのまま信じて差し出していいのか、延々と考えていました。そうした出来事は何度もありましたが、自分が何をしたら正しくあれるのか、ずっとわかりませんでした。

20代前半くらいまでは、お金や物を渡さなかった

私は大学で発展途上国について専門に学んでいました。貧困については、もちろん常にテーマとして挙がりました。学べば学ぶほど、貧困については考える点が多すぎて、理解しようと努力してきました。でも、知識の上でも私自身の考えはまとまることがなかったのかもしれません。教育、衛生、労働、それぞれの国の特性、全てが貧困として、悪循環へとつながるのです。

私は物ごいの人に対して色んな意味でコミュ障だった

物ごいの人が来たときに、失礼な態度を取られたことがありました。その時の私は毅然とした態度を取らなければならないと、怒ったふりをしてその人を追い返しました。実際は、余裕のある懐の広さを演じて、お金を出すという選択もあったのでしょう。

今の私も努力はしているものの、人と接することが上手ではありません。物ごいの人を前にしてもそうでした。うまくコミュニケーションがとれず、その場の最善の判断をとるのが下手でした。

ある人が「物乞いの子に何かあげると他の物乞いの子もたくさん集まってくる」と言いました。

私はそれを聞いてからというもの、簡単に物乞いの子に何かあげるのを躊躇うようになりました。自分を何かしらの危険から守るためでした。そして、すべての人に手を差し伸べることはできないと、最初の1人すら助けることを躊躇いました。

人生経験の浅い私は、周りの人の意見を聞いて、自分に足りなかった考えを補おうとしていました。その話が実際にあり得ると判断して、注意深くなっていました。

今の私なら、お金を差し出すこともできる。と思う。

私は思うように稼げた経験がありません。それは物ごいの人にお金をすぐ出せない理由の一つでもありました。自分の収入が上がらないのに、人に出していいものかと考えていました。

稼げないのはずっと変わっていません。それでも、今なら物ごいの人にお金を差し出せる気がしています。もちろん状況は見極めなければなりませんが。

今の時点で自分が持っているものは分け与えられる

ずっと結論がでないけれど、次に物ごいの人に出会ったらどうしようって、いまだに考えます。でも今の私は、自分が持っている分の中なら他の人に分け与えられるだろうと思います。初めてのインドの時より経験も増えました。歳をとって、もう少し考え方にゆとりができています。自分は、人に分け与えられるものを持っているのです。ただそれを少し目の前の人に、とりあえず分ける。その後のことはその時に考える。ちょっと先の未来は、きっと私が想像できなかった状態だろうと思うのです。私には先を予知する能力はありませんから。

私は何も具体的に助けられない。でもお金を出すことはできる。

これからも自分がそうあるべきなのか、考え続けます。他者へ何かを分ける余裕があるうちは力になりたいです。

戦争に災害にと、世界で悲惨な出来事は起こっています。何かできることがあるとしたら、私はお金を出します。自分は実際に困っている人に会って助けることはできません。救援物資で不要なものを送りつけてしまうことも避けたいです。だから、救援に従事している人が自由に使えるようにお金で寄付します。

  • 下記、UNHCR トルコ・シリア大地震募金ページへのリンク

https://www.japanforunhcr.org/campaign/Turkiye-Syria-earthquake-emergency?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_campaign=JA_JA_UNHCR_Brand_01SY47TURSYREarthquake&sc_camp=4CC755E63EE54715AEFF0442A7B13404&gclid=CjwKCAiArY2fBhB9EiwAWqHK6ssLXNtXNCh0wS70AChch3_-fGoRFga0UerBGbURKp8miiSacVM5DxoCAZcQAvD_BwE