クルフィーの色~インド.料理.旅など~

ひたすらインドとヒンディー語について綴られるブログです

インドに行ってきました!(遂に!!)

久しぶりのインドへ

インド行きのチケットを取ってから、本当にインドに行けるのか、はたまた行ってもいいのかと考えることが何度かありましたが、ようやくインドに行って帰ってきました。

 

インドに行って感想

最後に行ったのがクンブメーラーのあった頃、2012年冬から2013年のお正月にかけてだったと思うので、今回は12年半ぶりのインドでした。

ちょっと近代化している感じは受けました。現地ではそれなりの年月を経ているので。とはいえインドは相変わらずで、特に戸惑うほどのことはありませんでした。

現金、カード、QRコード決済

お金の決済方法として、QRコードによるオンライン決済が現地では進んでいると聞いていたので、私も海外の利用者に向けたアプリのサービスに登録したのですが、全く使いませんでした。使えなかったと言う方が正しいです。法人登録でないQRコードの登録者へは送金ができませんし、モバイルネットの電波が悪くて使えなかったりしたので、結局ATMでお金を下ろしては現金払いしていました。MasterCard のついているデビットカードがほとんどの ATM で使えました。現金がATM 本体に入っていない場合も多く、たいてい下ろせても10000ルピーくらいが限界でした。

支払いにはごく稀にスマホのタッチ決済(私の場合はiPhone に登録してある私のカード)が使えました。デリーの空港では免税店でタッチ決済できず、実際のカードを使いました。‘’高級ホテル” であってもカードの支払いはカードの読み取り機が使えなかったりして、結局現金です。現金を用意しておくのが一番でした。高額商品を扱うお店なら、PayPal で支払いできる場合もありましたので、覚えておきたいです。

 

今回のインドでは全然怒らなかったです。物乞いの人ともうまく立ち回れました。

インドに行くといつもお金をせびる人、物をねだる子供、物乞いの人に失礼な態度を取られたりして嫌な思いをすることがありました。今回の旅行でもそんな人たちにたくさん会いました。今までなら腹が立って仕方ないことがあったのですが、今回は全くそこまで怒ることがありませんでした。日頃の鍛錬の結果だと思います。インドに行ける日をうかがっているこの十数年、本当に色んなことがありました。どうしていいかわからないほど悲しんだり、怒ったり、苦難がありました。その時期を過ごして、言いかえればやり過ごして、今ではインドで何かあっても大したことありませんでした。

バナナ便利。物乞いや道ゆく人にバナナをひたすらあげました。

今回も物乞いの人がたくさんいましたし、しつこい物売り、すぐお金と食べ物をねだる子供たちにたくさん会いました。

昔と違って私には落ち着きが増していたので、今回はそんな人たちが来てもうまくやりとりできたと思います。

自分で食べるためにバナナを買って持ち歩いていたのですが、その時に限ってたくさんの何か物をもらおうとしている人が声をかけてきました。多くの場合は子供が「ティーカー(額とか体に付けるヒンドゥー教の印)を付けて!」とスタンプに色をつけて私の顔に向けた状態で迫ってきて、私は断っていました。何度も断るうちに後ろから追いかけてきて「じゃあお金ちょうだい」と、商品もサービスもなくお金を要求してきました。そして、私はこう聞くのです。「今バナナなら持ってるけど、いる?」。すると返答は「いらない、パラーターが欲しい。ゴールガッパー食べたい。」みたいな場合と、素直に「いる。」という場合です。いらないと言われたら、また会話が続いて「お腹空いてたらバナナ食べれるよね?おなかすいてないんでしょ?」みたいな感じでした。そしてもう一度聞いて「バナナいるの?いらないの?」というと「うん、いる…」みたいな感じでバナナをもらっていきました。

とにかく私は相手の身なりをみたり、態度をみたりして何かしてあげるか決めていました。家も食べ物もある子供が遊びで知らない人に「お金ちょうだい。あの食べ物買って」とねだることも多いからです。装飾品をいっぱい身につけた女性がねだってくる場合や、顔つきが明らかに狡猾で、衣食住に困っているように見えない場合はほっておきました。私以外の人が必要だと思えば何か与えるでしょうから。

道端の小屋みたいな家からお母さんが小さい子どもを連れて「お金がない。ちょうだい。」というパターンの時は「バナナならあるけどいる?」と聞くと、すぐに「いる」というので、その場に来た家族全員に一本ずつあげたりしました。さらに「この子は目がものもらいなんだ。薬買うお金ちょうだい」と言われた時は「他の人に頼んでね」と言って、私は去りました。ものもらいは辛いですが、私が今住んでいる国でさえ自然治癒すると言って薬も出ませんし、私からばかり与えるのも違和感があったので。そのお金が実際にどのように使われるか、考える必要もないですから。

1人にバナナをあげると他にもわらわら来て、私が買ったバナナのうちの8割は人に貰われることになりました。でもバナナ便利でした。だってバナナだったら栄養たっぷりで体に良いですし、人にあげるのに躊躇いがありませんでした。

バナナ以外にあげたもののパターン、買ってあげた場合

一度チャイを飲もうとしたら、4歳くらいの小さな男の子がお菓子買ってとねだってきました。私はチャイ屋さんの扱っているものの中でも、1番体にはよさそうなビスケットを買うことにしたのですが、その男の子は「こっちにして」とチャイ屋に言って、天井にぶら下がっていたスナック菓子に変えていました。もう、ご飯ちゃんと食べてね?って感じでした。私が選んだビスケットですら体に良くなさそうなタイプのものだったというのに、すっかすかのフライのスナック菓子なんて、食べる意味がないくらい不要なものだと思ったので。

ある時は6歳前後の子供たちが私に群がって「(か弱い私たちに食べ物ちょうだい)」と赤ちゃんみたいな声とジェスチャーでねだって来ました。そしてゴールガッパーのお店を指さして来たので、私は「あなたたち何その喋り方は、喋れるでしょ?だって私がヒンディー語喋れるんだから、あなたたちはもっと喋れるでしょ?何が欲しいのか、ちゃんと言いなさい。」と話しました。こういう子供たちにとって、物をねだるのはただの遊びです。実際にお金持ちの家の子ではないですが、生きていけないほど困っていることはなさそうです。現にいたずらっ子たちで、私にちょっかいだして、元気に楽しそうでした。ゴールガッパーは20ルピーで10個食べれると言うことだったので、その場に来た4人に二つずつ食べて残りはじゃんけんしてねと、ゴールガッパー屋にお金を渡して去りました。その後、帰って私にじゃれに来て「お姉ちゃんお姉ちゃん!」と、オートリキシャーにもぶら下がったりしながらずっとついて来ましたが。

もう私は、いい歳なので子供の扱いもうまくなっていました。「危ないからオートから降りなさい」と言っても、遊んでいる子供なのでおりないのはわかっていますし、「運転手さんを困らすんじゃない、手を離しなさい」と言うと、子供は遊びをやめませんが、運転手が「うんうん、そうだよ」と私の言葉に納得しているという、でも子どもがやめないのは運転手にもわかっている、そんな状況が見えるようになっていました。今はもう腹が立つこともないです。初めてインドに行った時、19歳くらいの時は、リキシャーにぶら下がって降りない子供達にものすごく腹が立って、ずっと怒りがおさまらなかったことを覚えています。

昔と違って、インドの知らない子どもに何かを買って与えるということができるようになっていました。何も与えない、ということも、状況によっては最善だと判断して。

何かをあげたかった場合もあるけれど、適当なものやお金がなかった場合もあります。お金しか持っていない時に、複数の物売りの子が寄ってきた場合などです。でも、私ではない誰かが後できっと与えてくれると信じています。

こうでなきゃいけない、ああでなきゃいけないという考えさえ置き去りにすれば、なるべき姿と状態が現れると。現にみんなちゃんと洋服着て、元気に歩いて仕事をしたりものをねだりに来るのですから、しっかり生きています。明らかに手助けが必要な人なら出来る限りのことをすることになったでしょう。

ほぼ全てのインド人に、私はネパール人だと思われました

今回の旅で毎日あったのが、ネパール人だと思われることです。もう私がネパール人であること前提で話しかけられて、ヒンディー語の会話だったりしました。毎日何度もあるやりとりが「ネパール人?ネパールから来たんだよね?」日本ですというと「え?何?ネパール?」という感じでした。

日本人だとわかると「一緒に来た人は?1人なの?結婚は?子供は?」「どこでヒンディー語勉強したの?」という一連の会話流れを経て、毎日同じ流れをたくさんの人に話しました。誇張でもなんでもなく、一日に何度もです。会う人会う人というくらい。ある日はレストランの看板を眺めていたらお店の人が声をかけてきて「ほら、あなたの国の地名だよ」と、ネパールの地名に確かあります、アンナプールナという名前を指さされました。

日本人と交流のある人ならすぐに私が日本人であるとわかるパターンもありましたが、全旅行期間中で日本人だとすぐに思われたのは 2回くらいでした。私はネパールのこと全く知りません。

一度お寺で写真撮影禁止の場所と知らずにスマホで撮影していた時、お寺の人に「こら!なにやってるんだ!ネパールから来たのか!」と強く言われて「あれ、撮影禁止でしたか?日本からです」と答えると「え?何?」とすぐ理解されませんでしたが、日本とわかるとニコニコして、日本人だからなのか態度が温厚になったことがありました。別に私が仮にネパール人だったとしても、超本気で怒っていたわけではないと思うので問題はなかったのですが、日本人であることは得だと思います。インドの人にとって日本は大切にするべき国であると思うので。日本の企業、アニメなどなど、良い印象にとられている話はたくさん聞きます。

人と話す時、基本穏やかに笑顔でいました。

普段の私通りなのですが、インドにいる間は穏やかな心で笑顔でいました。

どんな人が来て、どんな人が言葉をかけてきたりジロジロ見てきても、目があったら微笑むようにして。視線を受け止めていました。私個人は人と目を合わすのが得意ではないので、日々の訓練の結果があってこそ目を合わせて微笑むということができるようになったのですが、それが旅を円滑に進めてくれる大事な要素であったと思います。私自身が怒らないですし、相手が怒っていても、嫌な気持ちを向けてこっちを見ていても、からかいの目を向けていても、何があってもうまくいきます。

本当に具合が悪くて余裕がない時や相手がしつこすぎる場合などは温厚な態度に限りませんでしたが、それでも相手との摩擦を生まず、私にも後々の影響がないということで、穏やかに笑顔でいるのは良い方法でした。

インド人の中にぽつんとネパール人(…)がいると、たくさんの人に見られるのですが、控えめに見てくる人も居ればじっと見たり、周りの人と話し合ったりする人もいました。インドに行くと毎度のことではありますが、そのうち気にならなくもなりますし、なんだかその空間にいずれ溶け込みます。自分がやるべきことに集中していれば。

ヒンディー語いっぱい喋りました。

私のヒンディー語は12年のブランクを経てなお、不自由はありませんでした。相手が英語で話してきても結局ヒンディー語になったりして、行き先が都市部ではなかったので英語だけだったらコミュニケーションが大変だったろうと思います。インドの人が意外と英語を喋れなかったのが、今回の旅では意外でした。外国人がほとんど来ない場所に行ったことも一つの理由でしょうが、外国人の私が旅をしていると言うのに英語をほとんど話す機会がなかったです。英語喋りたい人というのもいたので、その場合は英語中心でしたが、それでもヒンディー語はよく喋りました。

私がさも当たり前のようにヒンディー語で喋っているので、向こうはずっと私に英語で話しかけていて、しばらくして「あれ、ヒンディー語喋れるの?」と、本人が英語で会話している気になっていたこともよくありました。いや私は最初からヒンディー語で喋っていたよ、という感じでした。

私の行き先に英語はほとんどありませんでしたが、今はGoogleの翻訳があるので、看板とか読みたいときはそれが使えると思います。

異性として近づいてくるインド人男性と会ったとき

もう私はだいぶ歳をとったので、今回のインドはどうなるだろうかとは思いつつも、男性には注意を払っていました。

左手の薬指にはめる指輪とか持っていないので、結婚しています、またはパートナーがいますという印は一切なくインドに行きました。

実際に向こうに行くと、外国人観光客があまり行かないところに行ったので、そんなしょっちゅう変な人が近づいてくることはありませんでした。私もインド人にどう見られようと実際は若くないですから、自分の振る舞いも含めて20代前半のころより楽でした。でもいることはいるので、無理やり肩を抱き寄せてくる人とか、下品な人にはやはり会いました。お酒を飲もうと言って家に誘ってくる人とかもいました。ホテルの従業員もしょっちゅう部屋に来て、勝手に私のベッドに座ったりとか。

そう言う人は、彼氏や伴侶がいようと、さらには子供がいようと、関係なく誘ってきます。わざわざ男よけをするために指輪を用意したりしなくてよかったです。効果ないので。

「もっとこっち来い」と力技でこられても、その時の私は微笑み絶やさず「No」と言っていました。その時が過ぎたら何も言わずに去りました。相手に逆らうというより、たいていの事は相手の話を受け入れて、相手が望んでいることをやってあげてやり過ごしました。相手が望むことってせいぜい肩を組んで写真を撮るとか、一緒にお茶(気楽な場所で)をするくらいです。それやったら満足します。

今回のインドでは全然外国人観光客に遭遇しませんでした

行った場所が海外の主要ガイドブックにほとんど載っていない場所だったので、最初は疑問に思っていなかったのですが、インドで外国人観光客がめっきり減っていました。デリーにいる時ですら、思い出せるのが外国人観光客ですれ違ったのが2人だけです。

帰ってから聞いた話によると、インド国内のインド人旅行者は増加しているけれど、コロナ以降海外からの観光客は激減しているとのことです。

私もインドに行くの大丈夫かなと思うほど今年もいくつか出来事はありましたし、本当に外国の人に会わなかったので、事実国外からの旅行者は減っているようです。

 

ビザの手続きに難航中

しばらく様子見していましたが、直前までインドに行く準備だけはすることにし、ビザの手続きを試みました。

申請だけで3時間ほどかかりました(何度も記入内容は消え、ずっと同じ内容の記入をさせられ。)

ようやく支払いまでこぎつけたのですが、どうやら決済に失敗しているようです。PayPal でなんとか決済したのに、ビザのステータスが支払い済みになっていません。PayPal からの支払い完了の通知のみ来ました。

今のところ最悪の事態は、やはりインドに行けないことだとして、その手前がアライバルビザで済むというところでしょうか。

行く前から面倒くさくて、長年の思いも消え去りそうです。

前回記事を書いたあとすぐに戦争がひと段落したので、願掛けも込めて現在の進捗を書きに来ました。

12年も待ったというのに、すでにこの状況なので、インドが大変というより、そもそも行ける気がしていないです。明日には事態が好転していればいいのですが。

インド行ける!からの戦争勃発?

今日の内容

インドに最後に行ってからかれこれ12年が経ちました。

今回の記事では、内容から言うとインド行きが決まったのにインドとパキスタンが戦争を始めたので、もう行けない気がするということを書いています。

でも、インドに行けなくなっても残念で悲しみのどん底というより、行こうと思えば行けるという状態にまで周りが変わったので、それだけで気持ちが軽くなっています。

 

突然インドに行くことに決定

たまにインドのことを思い出しては、涙が止まらないということもありましたが、なんやかんやで日々を過ごしていたのです。

しかし、今年の2月ごろになって、私の周りにインドに行かなければならないという雰囲気みたいなものができはじめました。そして、その頃は夢の中でもはっきりとインドに行ってインドの人とヒンディー語を話す自分の姿がありました。

長きに渡りインドに行きたくても行けない、この先もいつまで待てばいいのか見当もつかないという状況に、もう堪えられないくらいに悲しく落ち込んでいました。

そして、もうインドに行きたいんだ!と遂に感情がせきを切ったように爆発してしまったのです。

もう私のことは止めるなと、私が行きたいのだから行くのだと、そう言って、ようやく待ち焦がれていたインドに行けることになりました。

職場からの休みが確定し、すぐにチケットを取ったのが3月末。新しいバックパックに貴重品のポーチ、その他いろいろ用意しました。

 

インドに行くことが決まって準備することをこのブログで書こうと思っていましたよ。

毎日インドの動画で現地の観光情報を集めて、もう皆んな同じ場所に同じ食べ物、同じ宿泊施設ばっかり紹介しているのと、偽の宿泊施設で詐欺が横行していることばかり目にして、もう調べるのはいいや、向こうに行ってから全部決めようと思うくらいに情報収集にも疲れてきた今日この頃

パキスタンとインドが戦争???はあ????

そんなことになったら国境付近どころか首都にヒンドゥー教の聖地も狙われて危ないじゃないですか。

 

さすがに危ないなら行けなくなります…。

 

チケットは最寄りの国際空港からデリーまでの直行便で、エコノミーとは言え結構したんですけど。その中でも一番安いチケットだったので、おそらく返金とかないのではと思います。

 

すぐに戦争が終われば一番ですが、もう危なくなっていることに変わらないので、行けないのかなと、これを書くつい1時間前くらいから思いはじめました。

 

実は私は、インドに簡単に行けない運命にあるんでしょうかね。いや、既に12年が経過しているわけで、チケット購入してなおこの状態なので、既に証明されているともいえますね。

 

インドだし、何かこの身に起こって帰れなくなっても仕方ないなと思ってました。

インドは何かとギリギリのところまで危ない目にあったことはこれまでありました。

身近な人には、まだ戦争が危惧されてないころから、今回インドに行って帰って来なくなるんじゃないかと心配されたりしていました。でも、その時はその時、私はなぜかインドに行かなければならないのだから、旅で死ぬならそれは天命だと受け入れていました。

どこで死んでも、死ぬ時は死ぬんだし。平和な国で銃撃事件とか、天災とか、死ぬ時は選べないでしょう。

しかし、戦争が起こっている場所に行くのは運命でもなんでもない、適当に幸運を信じている考えなしです。まさかこのタイミングで戦争は、チケットを買った時には考えていませんでした。

「インド人です。でもパキスタンの歌が好きです。あなたはレジェンド。」みたいなコメントが YouTube ではたくさん投稿されているのに。その逆も然り。

 

インド行けなくなって、悲しんではいないです

インドに行きたくても行けないこの12年は、本当に辛かったです。

365日悲しみに明け暮れているわけではなく、一年で数日、たまにヒンディー語の歌を聞いたり、夢でヒンディー語を話していたりして、涙が溢れる日があったのです。

「どこに行きたい?」「何がしたい?」と人に聞かれても、私はインドにしか行きたい場所はなく、インドにただ行くと言うことが心からの望みでした。それを口にしても意味がない環境で、胸に秘めている間が本当に寂しく、悲しかったです。

毎日、その他の幸せで、インドにどうしても行けないことを覆っていました。

とはいえ、インド行きがなくなりそうな今、人生の最高潮から転がり落ちているというわけでもありません。

インドに行ける時には行けるという望みが今回で現れ、今なら私を止める人ももう気にしなくていいということがわかったので、それだけでも十分です。インドに行けないのは残念には違いないですが、全く望みのない生活からは抜けて、だいぶ明るくなりました。

 

毎日カレーを食べて状況を見守ることにします。

行ける時には行けます。行けない時には、行けません。ただそれだけです。

ヒンディー語、サンスクリット語、パーリ語

この頃、仏教の法話を聞くようになりました。

仏教といっても初期仏教(テーラワーダ)と言われるもので、日本で触れてきた儀式的なものとは、大きくかけ離れているように感じます。

ブッダの教えに改めて触れるようになったのは、それらが私の納得しているサドゥグルやラマナマハルシなどの話と根本が同じであると感じたためです。全く同じ共通した言葉や表現を聞いたこともあります。それは言語や道、方法が違えども、真理だから同じ結論に至るに違いありません。

仏教なので、ブッダが話していたとされるパーリ語の文章も読むようになりました。

ある程度のヒンディー語を使えるとサンスクリット語も多少理解できるのですが、パーリ語もなんとなく似た言葉が多く、読めます。パーリ語の文法や単語は学んだことがないので全く知りませんが、日本語訳もあればなんとなくわかります。パーリ語の発音と読み方は、ヒンディー語の経験からすでに知っている部分が多いようです。

 

いろんなスピリチュアルな話や自己啓発を試してきましたが、ヨガ、インド哲学、仏教は、悟りへの道として確立していると思います。しかし全てを納得はできません。自分で試さなければと思います。

 

仏教の話で、今でも思い出すインドの思い出があります。

インドでヒンディー語の勉強をしていたころ、先生に日本の昔話をヒンディー語で話して欲しいと言われたことがあります。

私にはとても難しい課題に感じて困ったあげく、小さい頃に一度だけ聞いた蜘蛛の糸の話を聞いてもらうことにしました。話を全ては思い出せませんでしたが、ある男がいて地獄に落ちた後、蜘蛛の糸が一本だけ空から垂らされて、それに登って助かろうとするも失敗に終わるという流れだけは覚えていたので話せました。

昔話で桃太郎は思い出せても話が長すぎて、初歩的なヒンディー語で話しきるのは難しいし、鬼退治でハッピーエンドはつまらないしな、と思って蜘蛛の糸になったのですが、その時に教えてもらったのが「奈落(地獄)」というヒンディー語でした。

当時はなぜ私がこの話を選んだのか、理解できませんでした。未だになぜと思います。しかし今その当時のことを考えるなら、私に関わりのある事柄だからだったのかもしれないと思います。現在の私が仏教とインド哲学の両方に関わっているわけですから。

 

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【中島健人】インドのVlog で紹介されてた内容【ボリウッド】

YouTube のおすすめに、どこかで見たことがある人がインド人と写っているサムネが目に入りました。

動画のタイトルは Bollywood songs mai dance kiya Japan ke artist で始まり、ふむふむ、誰だろう?あれ、でもBTS って書いてあるけど… と、もう一度タイトルを読み直してみました。

“Kento Nakajima ne”

!?!? 中島健人さん!?

動画を見ると、ほぼヒンディー語での解説。

繰り返しの説明が多かったので、大体を翻訳したものがこちら↓

 

この Vlog を私は日本のアーティストであるケント・ナカジマと一緒に撮影しました。僕はボリウッドダンスのステップを教え、彼にはいくつか日本語を習いました。では動画を楽しんでいただけますよう、最後までご覧ください。

やあみんな、Dil Se Tarun チャンネルへようこそ。ラクシュミーインダストリアルに他の仲間と来ています。ただいまリハーサル中です。説明させてもらうと、ここに来てから分かったのですが、日本の番組撮影の本番ではなく、リハーサルが行わることになっていて、どんなふうにパフォーミングするか、ボリウッドではどのように撮影が行われるかということをやっています。今後、撮影されたものは番組として放映される予定です。日本のフォトグラファーなどスタッフ、それからとあるアーティストが来ています。それらの様子を今回はご紹介します。

ここが B YOU スタジオです。色々な色のクルター(インドのシャツ)が見えますね。カメラの前では BTS が撮影しています。衣装がどのようにカメラに映るのか、グルジさん(振付師)が見せています。服を体に当てて見ています。

日本のディレクター、カメラマンがいて、どのようにアーティストが椅子に座るか試行錯誤しています。

黒いTシャツに金髪の人がいますね、こちらが日本のアーティストであるケント・ナカジマです。振付師が動きを見せています。あとで番組内のインタビューも撮影されることになっています。ナートゥ・ナートゥ・ムーブ、ナートゥ・ナートゥ・ソング、このうたは世界中で流行りました。

ケントは歌も上手でした。

それから日本のダンスの振りも少し教えてくれました。彼はいいダンサーです。

ディッピング、フラット(?)ディッピング、バイクディッピングはボリウッドダンスの基本なので、全て教えました(ディッピングはボリウッドダンスの足のステップです)。それから全部のフリを教えて、インドに来た感想など話を聞きました。

 

以上が動画で語られていた内容でした。

こちらはWOWOW の番組である「中島健人 映画の旅人」の撮影風景だったようです。

私は国外にいて予告すら見れないので残念です(絶対かっこいいやつじゃん)。この記事を書いているころ丁度タクシー運転手のスーツ姿で踊ってる彼の姿繰り返し見てしまうほど、MVにハマっている最中でした。まさかボリウッドダンス踊りにムンバイまで行っていただなんて、想像もできませんでした。こういうことがきっかけで、日本にさらなるインド映画ムーブが起こるのでしょうか。

私とインドとの距離、現状

何かがずっと私の中で引っかかったまま

果たして私がこのブログ始めてどのくらい経つのでしょうか。だいぶ時は過ぎました。

最後にインドに行ったのが2012年ごろ、クンブメーラーがあった年です。もうそんなに長くインドに行ってないんですね。

たまにインドの音楽を聴くと感極まって、涙が止まらなくなることがあります。どうして涙するのか、理由を考えても仕方ないとは思うのですが、私が長く積み重ねてきたものを、何かしらのインドの曲を聴いている時に思い出しているような感覚があります。ヒンディー語の歌詞が理解できること、それまでに歩んできた道のり、今私の置かれている環境との違い、などがよく心に湧き上がってきている気がします。

何か心にずっと引っかかっているまま、これまでの毎日を過ごしていたようにも思います。それが何かって、具体的に言葉にはできないというか、しようとしても仕方ないと思うのですが。涙する理由を考えるのと同じで。

とにかくその訳はインドが関係しているんじゃないかな、という感じです。

今のところインドに行けなくても後悔していない

今の日常生活において、インドに行けないことで、何か困ることはないです。インドで絶対行きたい場所とか食べたいものとか、会いたい人がいるわけでもありません。

しかし、どこか行きたい場所はあるかと聞かれたら、インド以外に選択肢はないです。

行って何をしたいかというと、特にやらなければならないことはありません。ただ行きたい。行ったからにはその旅先のお寺参拝くらいはできるかなとか、そのくらいしか思いつきません。

私はまだインドに行く時ではないようです

いつ行けるかな、いつか行けるのかな、生きてる間にインドに戻ることはあるのかな、ずっとそう考えて過ごしています。

ただむかしと違い、私には何もかも置いてインドに行けるような、身軽さは無くなっています。

意地でもインドに行こうとかいうような考えも浮かびません。だから、まだ私はインドに行く時にないのでしょう。そしたら行くのはいつなんだろうと、無駄なことを考え続けてしまうので、また考えをやめなくてはなりません。

インドから離れ、かつての私が想像してなかった毎日を過ごしています

昔と変わらず、未だにインド料理を作って生活しています。でも以前ほどインド料理を作っていません。回数は激減しました。少ないと月に一回程度インド料理を作る時もあります。砂糖なしのチャイはよく鍋いっぱいに沸かして飲んでます。

今の国の社会にどうやら馴染んできていて、インド食材は必須でもないです。シャンプーはインドのソープナッツパウダー(リーター/アリーター)を頭にかけて使ってます。

いつかはインド関連で働くだろうかとずっと考えていたように思うのですが、現在はインドとあまり関係のない仕事をしています。全く無関係ではないのですが、どちらかというとインド以外の国と関わっています。

ヒンディー語に触れる頻度は減っていますが、語学力は高まる一方です。

そんなこともあり、ここ数年はヒンディー語よりも、英語で何かを学ぶことが増えました。今は仕事でも英語の方が使う機会が多いためです。仕事上、様々な言語を読んだり発音するのですが、そこにヒンディー語はありません。アーユルヴェーダをやっていたときは必然的にヒンディー語で調べ物をすることが多かったですが、今は専門性がある事柄をヒンディー語で学ぶ機会は少ないです。

サドゥグルの動画はたまにチェックしているので、ヒンディー語吹き替えで講話を聞いています。ヒンディー語に触れる機会が減っても、何を話しているかほぼわかります。最近はAI生成によるサドゥグルの声が動画に使われていたりして、初めて聞いた時はサドゥグル本人がヒンディー語で話しているのかと思ってしまいました。実際は英語でサドゥグルが話しているところを、ヒンディー語でサドゥグルの声が動画内で流されています。

年々理解出来ることが増えています

ヒンディー語は衰えるどころか理解が深まっていき、英語圏に一度も行かずにして、英語の語学力もなんとなく向上しているのを感じます。何もわからなかった頃と目に見えて違います。今まで学んでこなかった事柄が外国語で理解出来るようになりました。

ヒンディー語一つをとっても、ブログを始めた頃の私とこんなに違うなんて、当時の私は知る由もありませんでした。なんだかずっと変わり続けています。私の現状はこんな感じです。

2024年インドに持っていく物、持ち物リスト

インドに何を持っていこうかな

「今インドに行くとしたら何を持っていくかな。」とふと思い立ち、記事を書いています。

かれこれインドには十数年行けていませんし、今後も行く予定は立っていませんが。

私の知り合いが2月にインドへ行くそうです。2月なら酷暑は避けられますし、寒いと言ってもよほど雪山の方を訪れなければ問題ないでしょう。私も渡印するなら2月がいいです。いえ、行く予定はないんですけれども…。

【インドに持っていくものリスト(思いついた順)】

頭痛薬、解熱剤

スマホと充電器(インドで使えるアダプターとケーブル)

パスポート

現金(ドル、ユーロ、円)

クレジットカード

家の鍵

洋服、現地で洗うなら乾きやすい素材のもの。

マフラー、手袋など防寒具

eSIM などWi-Fi の設定ができる何か。

歯ブラシと歯磨き粉

洗面用具、ヘアブラシとか、日頃使ってて向こうでも使いたいもの

荷物を入れる丈夫な(タイヤもしっかりした)キャリーバッグ

リュックなど現地で使うカバン

 

以上です。

 

15年くらい前の記事まで遡れば持ち物についての記事も出てくるかと思いますので、なぜこのようなリストになったのか詳しく知りたい方は過去の記事も合わせてご参考にどうぞ。

 

今の私が持ち物に関して思うことはというと…

インドで謎の発熱や頭痛が起きた際に、現地で解熱剤を探すのではなく、自分で持って行ったものを使うのが最善だということです。手持ちのがなくなったら現地の薬屋さんで買いましょう。

 

インドの特に山でもないのに氷点下を経験したことがあります。現地の日中は半袖でよくても防寒具は活躍します。日本を出る時にも防寒具は多少要るでしょうから、コートは他の服を重ね着して家に置いてくるとして、秋物の上着などは必須です。ゲストハウスにも暖房はないので、日本家屋の玄関くらいの寒さは想定した方がいいです。

 

とりあえず日本を出て帰ってくるまでの現金は持っていたほうがいいです。現金を下ろしたくなったら、ICチップ付きのATMで現金を引き出せるクレジットカードを使います。ATMでカードが使えない、無理な場合はウエスタンユニオンのマークがある換金所でカードを使って引き出します。

 

スマホがありインターネットにも繋がれば、とりあえずGoogleを使うなり、翻訳するなり、地図を見たり、使うことができます。

 

今の私だったら…。とにかくインドに持っていくものは、パスポート、お財布(外貨と日本円の現金)、クレジットカード、スマホです。