クルフィーの色~インド.料理.旅など~

ひたすらインドとヒンディー語について綴られるブログです

自分ではない誰かになろうとする行為、他人との比較


インドにもさまざまな占いがありますが、よく話題に上るのが占星術、オウム占い、手相などでしょうか。
占いやスピリチュアルと聞いて、その言葉だけでなんだか胡散臭く感じてしまう人も多いと思います。
私がインドの精神世界の指導者である”グル” と呼ばれる人の話で、頻繁に占いについても耳にします。グルは主に、悟りを得てその教えを他の人に伝えている人のことを指します。彼らから聞いたことで私の頭に残っているのは次のようなことです。

  • 未来のことは誰にも知ることはできない
  • 人間は過去の出来事や現状から予測を立てることはできる
  • この先に何が起きるかは自然(宇宙)が成すことで、自分たちにできるのは今この場で努力をすることである

BKシヴァーニーというインドの女性指導者がとある講演で手相について語っていたのは、手相は現状を見ることはできるだろうけれど、運命や未来はわからないから変えられるということでした。
過去も未来も、それは太陽がのぼり沈むという現象が起きているだけで、時計の針が動いていると言うだけで、実際には現在しかないのだという考えを取り入れるなら、占いにおいても未来を知ろうとすることに意味はないのかもしれません。

ただ、それでも私は常に、今この場で何かに対し迷っています。私の場合は、どうしても仕事に恵まれないことです。仕事がしたいのにさせてもらえない、巡り会えない、働いても収入が上がらない、長年それだけが私の人生を曇らせています。どれだけ歳を重ねて、その間に行動したり、考えたりしてもうまくいっていると感じたことがありません。

度々手相占いを受ける機会がありましたが、鑑定士さん達には仕事運はないと毎度言われました。それについて、グルや指導者の言葉を聞いた上で思うのは、占いを受けた時点の私は仕事運がなかったのだと考えることです。
サドゥグルというグルの言葉によれば、人は過去や現状から予測を立てる能力を持つからこそ、未来を悪く考えて今が不安になるそうです。しかし、過去というのは今ここに存在しないものである、だから過去については古いデータにすぎないのですが、忘れたいほど嫌な過去でさえも、忘れずに今に教訓として生かすのです。
そして、その存在しないものである過去から想像した悪い未来は、今ここに起こっていない、未来の予測は立てることができるが、日本語で言うところの杞憂とか事実は小説より奇なりであって、実際には想像もできなかったことが起こるものだ、ということです。

未来を変えるとか運命を操るとか、そういうことはできるとも言えるしできないとも言えるのでしょう。それは今をどれだけの熱量でよくしようとするか、そのエネルギー量を私たちは選択できて、しかし未来はわからない。どのくらいのエネルギーを与えればいいのか、はたまたよかったのか、願った通りの結果になるかは誰にもわかりません。
ただ私たちにできるのは、今を精一杯良くするために、努力して人生を歩むことだとサドゥグルは言います。何があって、なにを所有していても人間は問題と共にあって、切り離せないということも言っています。

私は長年、思うような仕事がなくて困っています、でも仕事がある人は働きたくないと苦しんでいる、収入がないと苦しむ人の傍らには資産がありすぎて税金に困っているとか、サドゥグルはそう説明します。それから、人間は周りの誰かよりいい生活を送ることを考えたり、他の誰かのようになりたいと願うから、比較したりして苦しむといいます。
私を例にとれば、仕事をしている人、働いて収入を得ている人に憧れて、その人達のようになりたいと考えることが、サドゥグルの話に当てはまるのでしょう。実際に私は、働いている人と働いていない自分で、比較をしています。あの人と同じくらい働きたいとか、収入があればとか考えたりします。

けれども、サドゥグルが言うには、人はお金を稼ぐことばかり考えてしまっているということです。誰かよりお金持ちになっていい生活を送って、それで結局幸せなのかというとそうではなくて苦しんでいる。だけど生活なんて人間より脳が小さいアリですらしていることで、良い給料を得て生活していることを誇らしげに語ることはできないのだと言います。
何よりも、まず自分が生きていることが大事なのであって、生きているからこそ家族が大切なものになり、お金が大事になるのだと。だからこそ、大切なものがお金であると見誤らないようにする必要があるということです。

人生は火の粉のように儚く、ぽんぽんぽんと色んなことが起きて、そしてあっという間に終わるからと、今生きていることを幸せに、笑いなさいと、サドゥグルはよく言っています。
人生は思ったように行かないから挫折するけれど、今をよく生きるために、よく考えなさい、人生とはあなた自身が人生の一部であって、時間とエネルギーなのだといいます。物事をあるがままに見て、区別や偏見を持つのではないと。

識別は自分ではないものと対比して行なっている、生まれや外見、国籍、身につけるもの、名前などが挙げられます。しかし、それら全ては本当の自分ではなく、ただ自分という個人やその他という識別及び区別をするために認識しているだけです。それを行うからこういう私、こういうあなた、良い生活をする私、不幸せなあの人、という区別、差別、識別、比較をします。ただし、そうやって良い悪いという偏見を持つことが、そもそもの問題や不幸せという感覚につながると言うことです。
誰もかれも、そうやって優劣をつけたりする必要はきっとないのでしょう。こうじゃなければいけないという一定のスタンダードというものを、自分や他者の価値観に見てとって、それに縛られていくから、不自由になります。

ここまでお話ししたグルとは、つまり真実への学びを教えてくれる存在なのです。グルは必ずしも悟りを得た人ではなく、自然の石とかに学びを得てきた聖人も過去には居たようです。出会う人、出来事、外側の世界にあるあらゆるものが、内側である真実に導いているということです。ちなみに友達はエゴを強める存在なので、グルと呼ばれる人と友達にはなれないとのことです。

さて、こうして日々グルの言葉を聞いてもなお、私の苦しみは尽きません。「今生きていると確認できたら、笑いなさい」。そう言われて笑えない自分。
私は常に幸せです。こうして生きていて、何不自由なく暮らしていて、幸せであることは事実です。他者から見ても私の状況はすごく幸せだねと言われることからも、その点は一致しています。
一方で心の中では、仕事面でうまくいかずに息苦しくなっています。「誰かの価値観」や自分の中の理想で、うまくいっている、いっていないという風に決めています。誰かの価値観というのは、私のこれまで見聞きした意見で多かったものとか、あの人ならこう思うだろうなというような、言ってみれば実在しないものです。私の理想というのは、この体に生まれて過ごしてきて、積み重なってできた価値観といったところですね。

自分の思うように行かない、それはともかく、こういったことは生きている上で許容していいものだろうか、そういったことを基準にして、生活を送って、今をそのままで見ることにも抵抗して、将来についても勝手に頭が楽観視したり悲観視して、まだ起きていないしそうなるかもわからないことに頭を悩ませます。

「私は答えを教えることはできるけれど、自分でたくさん考えなさい」とサドゥグルはいい、ラマナマハルシというグルは「ただ静かにありなさい。内側を見なさい」と言います。

誰かに聞いてもその答えはその人の価値観でしかなかったり、真理に辿り着いていないのであればなおのこと意味のない言葉かもしれません。真実は言葉にするとそこから遠のき、それを伝えられないと、ラマナマハルシはただ黙ることで教えを伝えていました。私も今こうしてブログで書いているわけですが、グルの教えを私が感じ取って、それをさらに文章にしていて、自分でも受け取った内容を全て伝えられていないと知っています。

別に「正しく」伝えられないから悪いわけではないのです。「うまく伝えられた」から、「良い」わけでもないのです。ただ私がそう感じるだけで。受け取る人にもよります。

ところで、こんな日々悩みもがいている私は、どうすれば最善なのか、楽になれるのか、とにかく苦しくなる時があります。その答えは、自分がただありのままで見て、誰かになろうとするのではなく、短くいつ終わるかわからない人生を、精一杯満足して送ることです。しかし、それでも苦しんでいるんだと、何度もお伝えしましたね。
一番は、毎日どうしようもないのでグルの教えをYouTubeで見ることが多いです。私がどんな疑問を持っても、一貫した真理について、幸せについて言葉をもらえます。

あとはオラクルカードを引きます。その場合はネット上の無料のものとかが多いです。オラクルカードを他の人に引いてもらって判断してもらうこともあります。オラクルカードというのはカードデッキで、質問を心の中や言葉にした上でランダムに一枚から複数枚引いて、そのカードに出た説明をもとに質問の答えを受け取ります。タロットカードとも似ていますが、デッキのカードがさまざまで、タロットカードの枠組みともまた違うので分けられています。

私は実は、オラクルカードをすんなり引けません。頭の中で質問を思い浮かべると、だいたい答えが出てしまうのです。「自分を内観して問いかけなさい」とか「未来はわからない」とか「やりたいことをやりなさい」とか。グルの言葉とか今までの経験で、いちおうデータとしては頭に入っているようです。
ただ、何かのタイミングで「もうなんでもいいから今のことを、今の私にメッセージくれ」と、思い切ってカードを引ける時があります。引いたカードはネット上の無料のオラクルカードであれば簡単な説明がついていますし、オラクルカードの著者のブログなどを探すと解説が見つかります。人に引いてもらう場合は、その人が受け取ったインスピレーションで答えが受けられるという感じです。

時には励まされるような強いメッセージが書いてあったりします。ちなみに今日オラクルカードを引きました。毎日仕事をどうしたらいいのか悩み、グルの答えも聞きながら生活している私は「とにかく今の私にメッセージを。」と考えて引きました。
出たカードには「大勢の人がしているからといって、それが必ずしも正しいこととはかぎりません。」と書いてありました。それを聞いて私が思うのは、大勢の人とは、私にとって社会で働いている人ということです。
私は人生で最善の選択をして毎日すごしている、というのは前提の上で、それが周りにあまりにも見ない生活スタイルなので、多くの人と同じように働いて生活できないことをとても心苦しく感じています。
過去にそれを快く思わない人から嫉妬されたり、悪く言われたりといったこともありました。でも、それを私は私で、あなたはあなたですと正当化しようとしても、誰かの理解を得ること自体が意味がなく、どうしても理解されないことがあると気づいてからも、私はなぜうまくいかないのだろうとずっと悩んでいました。
誰の心を満足させるために私のあり方を批判されているのだろう?それは私にとって、近しい人だろうか?本当にその人は、私がその人の理想の姿になることで、幸せになるのだろうか?その人自身が幸せを感じる必要があって、私も私にとっての幸せを、選ばなくてはならない。それでも「誰か」という不特定の人を満足させるために、私は苦しんでしまっています。

この時ひいたカードのように、質問に沿っていたり、自分が言葉にできないことが明確になるようなカードを引いた時は、とても心が楽になります。
しかし、その逆もあり、引いたら余計に心が迷宮入りするようなカードが出る場合もあります。なんだか不穏な雰囲気のカードが出て、未知なるものへの不安でいっぱいになったりすることもしばしばあり、引かないほうが心の平安が保たれていることも多いのです。何か悪いことが起こる前触れかな、とかものすごい想像してしまうためです。

メリットもデメリットも感じられるオラクルカードですが、それを踏まえた上でもこんな占いがあるということをお伝えしたいと思います。

私が好きなオラクルカードの一つがこちら、ヨギックパスというデッキです。

『ヨギックパス』はインドの聖典ヴェーダにインスピレーションを得て作られた、内観と気づきのためのオラクルカードです。(商品説明より抜粋)

このカードデッキはサンスクリットの言葉、インドの神様、インド哲学をテーマにしたもので構成されています。デザインは鮮やかでインドの色彩を思わせるような絵柄に、現代的なポップな雰囲気を纏っています。
色々なオラクルカードが随時出版されますが、インドがテーマのものは限られます。動物とか、月とか、あとはタロットをモチーフにしたようなオラクルカード、さらに旅とか宇宙人がテーマのオラクルカードなど、さまざまです。

私としては、もうインドがテーマで、こんな華やかで可愛いカードなら、ただ眺めているだけでも楽しいです。考え方のスタイルもインドの知識が影響しているため、カードのモチーフとか各カードの答えとなるインドの言葉も、ヒンディー語及びサンスクリット語による聖典からの出典だったり神様の名前だったり、またはヨガだったりと、もはやインド関連が好きだから、そう言った単語にイラストを見るだけで嬉しいという感じです。

たくさん悩んで悶々とはすれど、輪廻転生というものがあるとするならば、私はもう生まれ変わらず死んだら解脱してそれきりになりたいです。そうならないように、これは修行なんでしょうか。日々。

誰かに認めてもらっても、ただその人にとっての価値観に沿っているかというだけだし、結局今の私が最高に満足できる選択をしていくしかないんですよね。でもなんだか疑問とか不満が絶えず湧いてきて、それができていない自分に嫌気がさして、延々と思考を繰り返すのです。

ラクルカードはポジティブな言葉が多くて、かといってそれが一概に良いとも言えませんが、もし必要なら引くことができます。
先ほどお伝えしたようにネット上でも無料のものが引けますし、有隣堂などの本屋さんやスピリチュアルグッズの専門店などで売られています。引く運命にあるなら、カルマによってそうなっているなら引くでしょう、といったところでしょうか。引くことに意味があるかないか、それを予め決めなくていいのです。行動して、結果が出て、それにいい悪いを判断することも必要ありません。

ラクルカードは英語を日本語訳したものが多いので、原文で引きたい方はネットで海外から取り寄せるのも一つの手です。英語のものの方が送料込みでも安いかもしれません。
私は日本語という母語ですんなり解説書を読めるのもいいのですが、言い回しが日常的な言葉から外れている時に英語で感覚的に理解した方がわかるのではないかと、どちらも解説をネットで深掘りしてしまいます。

ラクルカードは受け取り手に理解が委ねられるので、ヨギックパスなら私はインドとヒンディー語の知識で考えますし、一般的には解説書がついていますが、それだけではなく、カードのイラストから感じ取って答えを受け取ることもできます。

アプリでも正規のオラクルカードデッキが用意されていてスマホ上でカードを引くこともできるので、手軽に引くことができて、その場合は引いたカードの記録を残すこともできます。
ラクルカードで難しいことはありませんが、オラクル引く際の詳しい使い方は、ネットや説明書を確認くださいね。