クルフィーの色~インド.料理.旅など~

ひたすらインドとヒンディー語について綴られるブログです

ラマナ・マハルシの言葉が、今の私への答えでした

アマゾンのKindle 読み放題が、3ヶ月間だけ月額99円で加入できました。
こういうキャンペーンの折に加入すると、その時に私にとって必要な本との出会いがあります。
今回はラマナ・マハルシとの対話、全3巻が、私にとって大切なものとなりました。
ある日覚醒を経験し、シュリー・ヴァガヴァーン(恐らく本来に近い発音はシュリー・バグワーン、神を指す呼び名か?)と呼ばれ、南インドのティルバンナーマライ(アルナーチャラ)という地で余生を過ごしたラマナ・マハルシと、その地を訪れ、マハルシに質問を投げかけた人々との対話が記録された本になっています。
「真我、源」とは何か、マハルシは訪れた人々に語ります。しかし、語る以上に、マハルシは沈黙によって人々に教えを伝える事もあります。

昨年11月ごろに、私の友人が「この世の全ては幻なんだって」と言ったことがありました。それを聞いた私は、一体何のことやらわからず、へーそんな考え方もあるんだーくらいに思いながら、幻という言葉の意味について考えていました。
そんなやりとりがあった事もすっかり忘れた頃、私はラマナ・マハルシとの対話について、なぜか読み始めました。そして、そこに答えがありました。「この世の全ては想念、幻(マーヤー)」なのだと、マハルシは言っていたのです。それらは全て非実在であり、実在する唯一の存在が真我であると。何の気なしに友人が放った「全ては幻」というのは、私にこの答えを得るために疑問を起こさせる、布石だったのですね?

私は YouTubeで、日頃からisha のサドゥグルという、ヨガ行者のビデオを見ています。ラマナ・マハルシとの対話の中には様々なサンスクリット用語がカタカナ表記で出て来るのですが、サドゥグルのビデオを見ている時に学んだ言葉が蓄えられていたため、文中に出てくる用語について、訳が分からず眠くなるというようなことはありませんでした。
また、これまで読んだり聞いたりしてきた様々な精神世界の知識により、ラマナ・マハルシの言っていることがよく頭に入っていきました。知識として。

ラメッシ・バルセカール(ラメーシュ・バルセカール)の誰がかまうもんか⁈ という本もKindle読み放題にあるのですが、その方がラマナ・マハルシについてその人の視点から説明してくれているので、より理解を深めることができました。


このブログは、私が「仕事をしたい、自立したい、インドに関わりながら」という私の人生における、強い熱望を記しているものだと、私は思っています。ずっとずっと、ブログに綴ってきたように思ってきました。
でも、今はそんな風に思っていた自分すら、大きく気持ちの中で変化しました。きっかけは、友人から全ては幻という言葉を聞いた後、ラマナ・マハルシの本に出会う前のことです。同じ友人を交えたある集まりに参加しました。そこに手相を見れる方、オラクルリーディングができる方がいて、私はまず手相の方に見ていただきました。「あなたは金運があるけれど、仕事でお金は手に入らない」と手相の結果で言われたのです。これは昔の記事にある、中華街の手相でも言われたことでした。私は「でも仕事で稼ぎたいんです!」と言っていたのですが、その時居合わせた他のスピリチュアルのプロの方からは「仕事でお金が入らなくてもいいじゃない」と言われました。手相はすぐ変えられないので、その鑑定結果を聞いた後にオラクルリーディングの方にも仕事について、手相の結果を踏まえてリーディングをしていただきました。その時に出た結果は、私の次の仕事への準備は整っていて、高次の力を受けるとうまくいく、ということでした。
それからというもの、私は何の努力もせず、焦りからの行動も起こさず、ただ次のきっかけがくるのを待っていました。その途中でラマナ・マハルシとラメッシ・バルセカールの本に出会い、私の運命とか、出来事には決まっていることがある、むしろそれしか存在しないのだと、わかったのです。「知識として」。
私は悟りの境地に達していないので、覚者達が言うような「わかった」なんてものとは違います。ただ、少し近づいているのだろうと思います。
「自分」なんて幻、仕事がしたいお金が欲しいなんて言う想念、欲は、結局のところ真我探求の妨げにしかならないのです。全ては決まっていて、動かされている。私はこのままでいいんだと、スピリチュアルな人々が言うような言葉がたくさん浮かび、そして意味が飲み込めました。
「予習」や「布石」のような出来事が日々起こって、その答えがその向こうに待っています。
悩んだり苦しんだりしても、成るようにしかならない。自分で選んだつもりでも、それを選ぶように既に決まっていたのだと、そう言った内容がこれらの本には書いてあります。「行為者はいない」のです。それならば、全てを委ねれば最善の道に導かれるということです。それは、随分前に引き寄せの本で読んだ「流れに身をまかせる」という言葉や、「いい気分を選ぶ」という言葉が、理解の助けになりました。真我を覆うベールである想念を消す、というのはセドナメソッドという本の知識ともリンクしました。ラマナ・マハルシの語る言葉はそもそもヒンディー語を学び、サドゥグルの言葉から学んだ単語により、理解できました。
ラマナ・マハルシの本を1巻まで読んだ頃、私の仕事は転機を迎えました。職場が変わったのですが、オラクルリーディングの通り私はその職場で働く準備が整っていて、手相の通り簡単には稼げそうもないという状態です。その中で、いつの間にやら引き寄せられた結果がありました。仕事先の名前に「プラーナ」というインドの単語が入っているのです。そこで仕事が決まった日に、その名前を知りました。プラーナは生命エネルギーのことです。
新しい仕事先は、そのままの私を受け入れてくれるところです。そこで働くに相応しい私の好みや、技術が、ここ一年で培われていました。もう、そこで働くことが決まっていたんだと思えます。職場の名前も内装も知らないところに行って「プラーナ」という単語があるのは、面白い偶然です。結局私はインドに導かれているんだと思い知らされました。
「全てを開け渡せば(流れに身を任せれば)至福(静寂)が得られる」ということなのですが、悟っていない私は、余計な心配や怒りなどを起こしながら生きています。でも、「全てを知った人」の言葉を読んでからは、もっと気持ちを楽に過ごせています。