クルフィーの色~インド.料理.旅など~

ひたすらインドとヒンディー語について綴られるブログです

ヒンディー語版、サドゥグル、インナーエンジニアリング(Sadhguru – Inner Engineering)

2月中頃に、インドより一冊の本を取り寄せました。サドゥグルというヨガマスターによる、インナーエンジニアリングという本のヒンディー語版です。
ずっとこの本が気になっていて、以前からネット上で探していました。ヒンディー語版をどうしても読みたかったのですが、私の環境では電子書籍で購入することができず、どこかから輸入する形で書籍を購入する必要がありました。英語版はこちら(Amazon.co.jp Inner Engineering: A Yogi's Guide to Joy)

最終的にインドのデリーから購入するに至ったのですが、到着までに1ヶ月以上かかるということで、四月始めに手元に来る予定でした。幸いなことに予定より早く書籍が到着し、三月末に手に入れることができました。コロナにより海外からの荷物が封鎖される直前でした。
価格は本自体が1000円ほどで、送料が1000円ほどの、合計2000円でした。


本書はサドゥグルの生い立ちから覚醒に至るまでの詳細に始まり、ヨガの本質について、食べ物について、身体について、心、喜び、エネルギーなどに関して詳しく記されています。
YouTubeでサドゥグルの講演が見れるのですが、そこで語られていることと本の内容はほぼ同じです。本書に出て来る逸話やサドゥグルの教えは、全く同じです。ではビデオを見るだけでよかったのではないか、というと、実際はそうでもありませんでした。たとえ既に聞いたことのある教えであっても、まだその時点では私が理解するに至っていなかった内容が、本で読む時に理解できる頃合いになっていたようです。
言葉について、肉食について、学校について、セックスなど罪の意識について、様々なことが簡潔に述べられており、今の私に必要な事柄が全て述べられています。


13年に渡りヒンディー語を勉強した私にとって、これが初めて買ったヒンディー語の一般書籍になります。
本書を気分が乗った時にだけ数ページずつ読み、240ページ中180ページまで読み進めました。日常生活で使わない言葉ばかりで、私の使う語彙と異なる単語ばかりが本文中に使われており、しょっちゅう辞書とインターネット検索を利用しています。最初は100円ショップで買った極細の付箋に意味を書いて本に貼っていましたが、あっという間に手持ちの付箋が書籍の30ページ目で無くなりました。今は辞書の方にマスキングテープで既に調べた単語のところに印をしています。再度同じ単語を調べなおすのに、少し楽です。


この本を読み始め、初めて経験したことがあります。それは、ヨガの実践です。
私はインドでヨガを習ったことがありません。十代の頃にダイエットが目的で雑誌のヨガ特集に取り組んだことがある程度で、全くの未経験と言ってよい状態でした。そんな私が、この本を通じてヨガの重要性に気付き始め、僅かな動作ではあるものの、ヨガに手をつけました。
ヨガを単なるエクササイズの1つとして行うことに違和感があった私は、それ以外にヨガを行う理由を見つけることもなく、この歳まで過ごしてきました。ヨガについて知ろうとすることもありませんでした。それでも聞いたことがあったのは、ヨガはつながることであり、運動ではなくスピリチュアルなことが本来の目的だということでした。
実際のヨガはというと、その目的は頭脳での知識ではなく、宇宙の叡智に向けて進んでいくことと本書で述べられています。
今の私だからこそ、ヨガの本質についてすぐに理解を深めることができています。体の中にあるエネルギー回路を浄化するヨガ、オーム(a, u, m)を発声して振動を起こすヨガなどに今のところ挑戦していますが、直接肉体的に関わるヨガは行なっていません。以前の私であれば、おそらくヨガをやろうとすると身体が直接動くこと、物体や物質的な面だけを見たことと思います。


この本を読んでからというもの、私は以前にも増して物事を信じ無くなりました。というのも、ここ数ヶ月で身についた「全ては幻である」ということ、そして「覚者以外の真実を知らない者が言う言葉も、全て幻である」ということが、腑に落ち始めたためです。
例えば世間で話されていることや、自己啓発の本に書かれている内容、他人の言葉、自分の価値観、専門家の話など、鵜呑みにしなくなりました。
ほとんどの事柄は、私を含め真理を知らない人が言っているだけだからです。だから、自分の感じたことや元から持っていた価値観ですら、信じなくなってきました。
それから、誰かと一緒にいようとすることがなくなりました。友人であれ、家族であれ、親戚であれ、例え同じ空間にいても、1人で自由気ままに過ごすことが更に増えました。私の周りにいる人に対して、自由にしていて貰うことが増えたように思います。


数年前から始めた瞑想も、サドゥグルの瞑想に変わりました。これもSadhguru で検索すればYouTubeでビデオが見れます。他の瞑想と違うのは、瞑想中に「私は体ではない。心でもない。」と呼吸をしながら唱えること、東向きに胡座で座り、中盤に発声がある点などです。ヨガと共通した内容がこの瞑想には入っています。
前の記事ではマントラと三代目の曲が脳内融合していたというのに、今ではだいぶ瞑想の仕方が変わりました。
この瞑想は48日間に及び1日2回行うのが一周で、それ以降は1日1回行うものになっています。1日2回の瞑想を行なって20日過ぎた辺りから、眉間にグーッと力や瞳を閉じた状態の視線が集中することが増えました。始めのうちは胡座でじっと座るだけで背筋のあたりが痛かったのですが、今は筋肉が追いついてきたようで、痛くありません。


それから、いろんなことに罪悪感を感じることが減っています。自分で自分を苦しめないということの意味が、理解できるようになってきました。


自分の心の内での変化の大きさを、半年ほど振り返るだけで感じます。
今は、アーユルヴェーダについても、ヨガの面から知識を深めつつあります。
いまこの時が、私にとってアーユルヴェーダ及びヨガについて、プラーナについて知るべき時で、ヒンドゥー教の神々やインド哲学を深く学ぶ時が来たのだと感じています。
更に振り返って、そんな未来は、インドに興味を持った20年ほど前には気付きもしませんでした。
ヒンディー語を勉強し始めた18の頃にすら、まさかヒンディー語でヨガについて、インド哲学について知るほど続けているとは、きっと信じられなかったです。
今になって、高校生の頃に歴史の授業で聞いた「アートマー」や「ブラフマン」という言葉が身近になりました。当時は全く理解などできずにいたというのに。インドの家庭に滞在していた時も、彼らの思想が私にとって当たり前のように感じられる瞬間は一度もありませんでした。


私はこうしてインドに出会ってから、これまでの間、変化をし続けているのですね。