クルフィーの色~インド.料理.旅など~

ひたすらインドとヒンディー語について綴られるブログです

インドという存在が私を転がし続けている

今日は自分語りです。


インドの神に取り憑かれているとでも考えましょうか
インドがきっかけで、私の人生はいつも転機を迎える気がします。
いつも、私はまだ何かできることがあるのではないかと、あれこれ考えたりして
結局頭に浮かぶのはインドの風景ばかりです。
人と会話をしていてちょっと黙った瞬間、信号待ちをしているとき、空を見た時、それはもうどこへ行って何をしていてもインドの景色とかぶるのです。
私が今までうまくいっているなと感じた出来事が起きた時、どんな状態だったかなと思うと
やはりインドが関係していたりして。
小学生の時に中華街でインド雑貨を見つけてから、それはもうずっとインドに導かれるように人生を歩んできていました。
今更になって、そう思うのです。
私は自分に本当に自信がなくて、周りの人と同じになりたいと思っていました。
でも、インド雑貨に出会ってからむしろ人とは違うファッションをするようになりました。
自分の好きなものを、口には出せないけれど身につけることで主張するようになっていました。
ひっそり暮らしたくて、目立ちたくなかった私が変わり始めた事の発端がインド雑貨との出会いだったようです。
高校に入ると修学旅行なんかもあったり、制服のちょっとした改造みたいなのもあり、インドで作られた服とか小物を身につける私を、エスニック雑貨が好きな人としてクラスメイトにも知れ渡っていっていました。
気づいたら大学もヒンディー語とインド関係の教授がいっぱいの所に行き、毎日インドの色彩と模様に包まれながら通っていました。
でも1年の頃は納得のいくヒンディー語の先生とは出会えず(スイマセン)
成績も悪かったです。
2年になってから、新しい先生に出会いました。でもヒンディー語は人気がなくて3年からはクラスがなかった気がします。
独りで図書館に残って勉強して、帰りの電車でもCDを聴いて、帰ったらまた勉強して
四年生の夏に、ようやく私のヒンディー語が上達するきっかけとなった、インド人の先生ができました。
もうその頃には小学生の頃の私とは全く変わっていて、超マイナス思考の暗い女がポジティブ一直線に向かっていました。
でも戦後最低の就職率と言われたその年、私は就職先が見つからずに困っていました。
どこへいっても落とされるし、面接官には「インドに行っちゃえば?」と言われるし。
ヒンディー語をやっていてなんの意味があるのだろうと、いつも思っていました。
でも、続けているから、これ以上状況が下降することはないのだと、何度も思い返し、続けていました。
そんなときにインド大好きな私をそのまま受け入れてくれて、興味を持ってくれる人からエステの仕事に誘われ、なんとか働き口を手に入れました。
エステの仕事を始めてなれたのもつかの間、店長に誘われて行った中華街でまたもや大きな転機が待ち受けていました。今思えば、インド雑貨との出会いに続きまた中華街かという感じですね。
このブログで一番人気の記事はマトンカレー、その次はというと私の手相体験の記事です。この時の中華街で店長が受けた手相占いに私も便乗してから、自体はコロコロと転がりだしたのです。
そして、手相占いの結果はその一ヶ月後に行ったインドで現実となりました。
今私はインドとは全く関係のない地にいます。
でも結局インドがきっかけでこの地にいるわけです。
インドの情報にまみれて、独りでヒンディー語を続けて、カレーを食べまくっています。
この地にいても、いろんなこと模索して、これやってて意味があるのかなって、考えるのですが
ヒンディー語を続けていることで得られた私の人生の経験を思い出し、とにかく続けてみようと思うのです。


すぐに結果を求めようとして、思うようにいかなくて落ち込むのはやめたいって、とにかく続けて時間が経つのを待とうと言い聞かせています。


私は本当にインドがきっかけで様々な経験をしています。
生涯を共にする人たちと出会いました。
少し、大人になれました。
最近も、本を出すのはなんとなく憧れがあったけれど、インド料理の本でなかったらなんの知識もない電子書籍を奮闘して出そうなんて思わなかったでしょうね。
決して売れ筋だとは思えないタイトルだし…。(私はもっとチキンカレーとかスープカレー的なイメージの方が売れそうな気がする)


ずっとインドを追いかけて、逆に導かれもして、これからも見失わないようにしていきたいと思っています。インドが恋人とまでは言いませんが、家族くらいの存在かもしれません。


もっと自分に正直になって、この地でもインドに関わりながら、人生を送ります。私の決意です。