クルフィーの色~インド.料理.旅など~

ひたすらインドとヒンディー語について綴られるブログです

手芸をするのは

私は手芸が好きなのかというと、そうではありません。昔から自分に作れそうなものを挑戦してきただけで、挑戦する理由も「自分の好きなように形作れる」とか「安さを追求できる」とか、とても物作りが好きだからとは言えません。
今ビーズ製作をしているのは、自分にできるからということ、私のインド好きの原点がビーズのアクセサリーだったからということでしょうか。私の目標である「インドの色を広める」という道への模索の過程に過ぎません。
目標だけあって、手段が固まらずにふらついているためとても落ち着かない日々です。初期費用として材料費がかさんでいる今、お金が減っていく感覚ばかりあります。消費ばかりで、生み出すものが無いなぁと。ビーズのアクセサリーを作りだしていると言えば確かにそうなのですが、手元に置いていては、まだ価値がありません。早く人に売ってみたいです。
ビーズ作りを始めて半月経ちます。突然作り始めた私の低いセンスのアクセサリーがお金になるのかなと、疑心暗鬼です。汗
2月予定のフリマで成果が無ければ、また就活を再開しようかな、とも思いました。でも、企業に入ることが私にとってなんの為になるのだろうとも考えています。お金は得られるけれど、…お金が無ければ、そんなに生きていけないのでしょうか。住む場所、食べるもの、介護が必要になったら、お金の必要な場面を考えたらきりがありません。
昨日は寝れなくて、余計に考え込んでいました。そして、ある男性を思い出していました。大学生になり高校生以来、久しぶりに好きになった人です。初対面の時は嫌な印象しかなかったのですが、ふと笑顔を見たら全く違った顔をしていて、本当はいい人だと気付いたのです。その後すぐ付き合うことになったのですが、相手があまりにお金がなさすぎるため、別れました。将来結婚はできないなって、思ったからです。彼に尽くしたら、私の目標からも遠ざかってしまいます。
それでも付き合っているときは純粋にこう思っていました。「お金が無くても、この人の笑顔があればいい」って。実際一緒にいるだけで、イルミネーション見たくらいで、デートにもお金を使っていませんでした。生きるのに精一杯な人を見て、これからも一緒にいるのならお金を生み出す方法を考えながら生きていかなければって、お金がないことが前提で生きる意思を強く持っていました。そのことを思い出して、今の私とのギャップを感じました。
今の私は、どこか「お金がなければ」と思っています。それでも、お金を取って自分の人生をやりたくないことして過ごしたくなくて、葛藤しています。先輩達を見ていて、ここ5年くらいは2月や3月に内定を貰ってもおかしくないようですから、まだ就活をやろうと思えばできます。フリマをやるまでは、まだ再開するかわかりません。心ではしたくないと思っていますが、お金は必要です。
今は実家なので卒業後も暮らせますが、消費するばかりの娘はもちろんよくありません。
ヒンディー語の勉強は続けたいですし、自分のやりたいことやって人生終えたいです。欲張りな私は、生きるために何かを捨てることができないのかもしれません。
先のことを考えると、見えなくて不安になってしまいます。今は、とにかくビーズ製作と勉強だ!☆