何かがずっと私の中で引っかかったまま
果たして私がこのブログ始めてどのくらい経つのでしょうか。だいぶ時は過ぎました。
最後にインドに行ったのが2012年ごろ、クンブメーラーがあった年です。もうそんなに長くインドに行ってないんですね。
たまにインドの音楽を聴くと感極まって、涙が止まらなくなることがあります。どうして涙するのか、理由を考えても仕方ないとは思うのですが、私が長く積み重ねてきたものを、何かしらのインドの曲を聴いている時に思い出しているような感覚があります。ヒンディー語の歌詞が理解できること、それまでに歩んできた道のり、今私の置かれている環境との違い、などがよく心に湧き上がってきている気がします。
何か心にずっと引っかかっているまま、これまでの毎日を過ごしていたようにも思います。それが何かって、具体的に言葉にはできないというか、しようとしても仕方ないと思うのですが。涙する理由を考えるのと同じで。
とにかくその訳はインドが関係しているんじゃないかな、という感じです。
今のところインドに行けなくても後悔していない
今の日常生活において、インドに行けないことで、何か困ることはないです。インドで絶対行きたい場所とか食べたいものとか、会いたい人がいるわけでもありません。
しかし、どこか行きたい場所はあるかと聞かれたら、インド以外に選択肢はないです。
行って何をしたいかというと、特にやらなければならないことはありません。ただ行きたい。行ったからにはその旅先のお寺参拝くらいはできるかなとか、そのくらいしか思いつきません。
私はまだインドに行く時ではないようです
いつ行けるかな、いつか行けるのかな、生きてる間にインドに戻ることはあるのかな、ずっとそう考えて過ごしています。
ただむかしと違い、私には何もかも置いてインドに行けるような、身軽さは無くなっています。
意地でもインドに行こうとかいうような考えも浮かびません。だから、まだ私はインドに行く時にないのでしょう。そしたら行くのはいつなんだろうと、無駄なことを考え続けてしまうので、また考えをやめなくてはなりません。
インドから離れ、かつての私が想像してなかった毎日を過ごしています
昔と変わらず、未だにインド料理を作って生活しています。でも以前ほどインド料理を作っていません。回数は激減しました。少ないと月に一回程度インド料理を作る時もあります。砂糖なしのチャイはよく鍋いっぱいに沸かして飲んでます。
今の国の社会にどうやら馴染んできていて、インド食材は必須でもないです。シャンプーはインドのソープナッツパウダー(リーター/アリーター)を頭にかけて使ってます。
いつかはインド関連で働くだろうかとずっと考えていたように思うのですが、現在はインドとあまり関係のない仕事をしています。全く無関係ではないのですが、どちらかというとインド以外の国と関わっています。
ヒンディー語に触れる頻度は減っていますが、語学力は高まる一方です。
そんなこともあり、ここ数年はヒンディー語よりも、英語で何かを学ぶことが増えました。今は仕事でも英語の方が使う機会が多いためです。仕事上、様々な言語を読んだり発音するのですが、そこにヒンディー語はありません。アーユルヴェーダをやっていたときは必然的にヒンディー語で調べ物をすることが多かったですが、今は専門性がある事柄をヒンディー語で学ぶ機会は少ないです。
サドゥグルの動画はたまにチェックしているので、ヒンディー語吹き替えで講話を聞いています。ヒンディー語に触れる機会が減っても、何を話しているかほぼわかります。最近はAI生成によるサドゥグルの声が動画に使われていたりして、初めて聞いた時はサドゥグル本人がヒンディー語で話しているのかと思ってしまいました。実際は英語でサドゥグルが話しているところを、ヒンディー語でサドゥグルの声が動画内で流されています。
年々理解出来ることが増えています
ヒンディー語は衰えるどころか理解が深まっていき、英語圏に一度も行かずにして、英語の語学力もなんとなく向上しているのを感じます。何もわからなかった頃と目に見えて違います。今まで学んでこなかった事柄が外国語で理解出来るようになりました。
ヒンディー語一つをとっても、ブログを始めた頃の私とこんなに違うなんて、当時の私は知る由もありませんでした。なんだかずっと変わり続けています。私の現状はこんな感じです。