クルフィーの色~インド.料理.旅など~

ひたすらインドとヒンディー語について綴られるブログです

「夏にまたインドへ行きます」と言ったら、ある人に「良いご身分ですね〜」と言われました。そうでしょうか。インドが好きで前よりコミュニケーションが取れる今であっても、インドの生活は辛いです。英語留学だったらそんな風に言われないんでしょうね。ヒンディー語だから、遊びに行くも同然だと思われてしまう。日本にいる今は思い出せないくらい、インドでは毎日が戦いなんですが。激しく鬱になって、精神が狂ったりヒステリックになることも多いです。女だから危ない目にあって落ち込むことも度々あります。怒りに震えることも日常茶飯事です。紫外線や虫さされて肌はボロボロになるし、髪も水質が悪くてどうしようもなく汚れて、痛んだりします。ヒンディー語勉強しに行っても、毎日母語と英語が使えないのは頭が疲れます。
嫌な部分ばかり思い出せるようなインド生活、なぜ私は行くのでしょうか。それについて考えると辿り着くのは、やはり人生の目標がインドにあるからです。インドの色と柄を日本に発信したいという目標が私をインドへと向かわせていて、魅力として感じているからこそなのです。幸いなことに私にはインド料理も口に合うし、インドの人はお節介なほど親切で気にかけてくださいます。宗教も文化も日本と異なる物が多くて、常に新しい物を目にしながら刺激を受け、自身の視野を広げていけます。
私は自分の人生を生きていて「お金を生み出さなければ遊んでいるも同然」と周囲から思われていることを実感する機会が幾度とあります。よく冗談で「私はニートだからね(笑」と普段言っていますが、正しくはそうではないです。勉強をして、バイトもして、家事をやってる日々です。友達ともほとんど交流をせず、むしろ遊んでいません。
企業に勤めたい人はそうすればいいですし、別にそうでなくても良いわけです。お金がないと何もできないというのは現実としてありますが、お金があれば何でもできるということにはなりません。問題はどの程度蓄えるかという点です。何の目的もなく、漠然と「老後はお金がかかる」とか「いつか必要な日が来るかもしれない」と多くのお金を得ることばかり考えて働いたとして、本当にそれでいいのでしょうか。定年までを費やす時間、仕事以外に何かやりたいことはないでしょうか。人間は必ず終わりを迎えて過ぎた時間は取り戻せないのに、老いるまでそれに気付かずお金を貯め続けても、肝心なそれを使う時が減ってしまいます。そして長生きするとも限りません。
私の場合は今すぐにお金を作れません。やりたいことをやった上でお金が入るようにしようと、今を生きています。だからといって遊んでいるわけではありません。将来に収入が少なかったとしても、その範囲で生き抜くつもりです。
私は自分の未来のために、今の自分を捨てたりしません。将来のために今を働いて稼ぐ人はそれでいいんです。でもこんな風に考えている私にとっては、企業に勤めることが今を大事にしていることにつながらないのです。
みんなそれぞれ違うのですから、個々の価値観がありますよね。私は第一に自分の考えを持って、相手の考えを尊重したいです。自分には自分の、相手には相手の持つ物があるからこそ、自身だけでなく相手のことも考えて動ける人になりたいと思います。
迷いや落ち込みで葛藤することもありますが、その時孤独を感じている自分と戦い続けて、常に前を向いていたいです。